最近、北海道日本ハムファイターズに所属している生田目翼なばためつばさ)選手が話題になっていることを皆さんはご存知でしょうか?

現プロ野球選手は、ほとんどの人がプロを目指して野球を小さい時からやってきていますよね。

 

しかし、生田目翼選手はもともとプロ志望でなかったようです。

どういうこと!?と思う人もいるでしょう。

 

そこで、今回は生田目翼選手現在の活躍ぶりや、過去の志望先について誰よりも詳しくまとめてみました。

是非、この記事を最後まで読んでみてください!

引用:北海道日本ハムファイターズ 選手名鑑2019

プロフィール
名前  生田目翼(なばため つばさ)
生年月日  1995年2月19日
現年齢  24歳
血液型  A型
身長  176cm
体重  86kg
出身地  茨城県常陸大宮市
出身小学校 常陸大宮市立村田小学校
出身中学校  常陸大宮市立第二中学校
出身高校  茨城県立水戸工業高等学校
所属球団  北海道日本ハムファイターズ
背番号  13
ポジション  投手
投球・打席  右投げ右打ち
ドラフト年 順位 2018年(3位)
契約金  6000万円
年俸  1000万円(2019年)
引用:wikipedia

イケメンで爽やかさが売りの生田目翼選手ですが、なによりも目を引くのかなり珍しい名字ですよね。

「生田目」という名字は全国各地でおよそ5600人いると言われていますが、この名字は「いくため」や「なまため」など読み方は千差万別なので、実際に「なばため」と呼ぶ名字はさらに少ないでしょう。

 

生田目翼選手自身は、北海道日本ハムファイターズの新入団選手の記者会見でニックネームについて記者から質問された時に「名字が難しいとしばしば言われるので、下の名前で。」と答えていました。

個人的には、「翼」という名前は結構見かけるので、「生田目」で覚えてしまった方がインパクトがあるのになぁと思っていたりします。

生田目翼投手は現在北海道日本ハムファイターズで活躍中

野球

生田目翼選手は現在、北海道日本ハムファイターズで活躍しています。

ちなみに北海道日本ハムファイターズは2019年8月30日現在でパ・リーグ内の順位は5位となっています。

北海道日本ハムファイターズは直近では、2016年にパ・リーグ1位の好成績を出しているので、今シーズンもまだまだ諦めずに応援したいところですね。

 

ちなみに、生田目翼選手は背番号は13にしています。

この番号は2018年で現役を引退した、石井裕也(いしいゆうや)選手が着けていた背番号です。

現役時代は先天性難聴という難病を抱えながらも、多彩な変化球を武器に三振を取り続けていました。

そのありさまから「サイレントK」という異名をつけられていたほどです。

これほどの名投手が着けていた背番号を受け継いだことは、かなりのプレッシャーかもしれませんが、そこは逆境を跳ね除けるぐらいの強いメンタル精神で活躍して欲しいところです。

ではここで、大きな期待を背負いながら北海道日本ハムファイターズに入団してきた生田目翼選手の今までの個人成績を見てみましょう。

今シーズンの成績は4試合に登板(内 先発1回)し、防御率7.880勝1敗となっています。

 

主に中継ぎで試合に出場すること機会が多いようです。

現在は本調子とは言えないとは思いますが、プロに入ってまだまだ月日が浅いですから今後に期待ですね。

怪我をなるべくしないようにしながら、着々と力をつけていってほしいです!

学生・社会人を経てドラフト指名へ

生田目翼

実は、生田目翼選手は大学卒業後すぐにプロに行ったというわけではないのです。

では、どのような流れでプロ野球の世界に入ることになったのでしょうか?

生田目翼選手の学生時代社会人時代について詳しく解説していきます。

生田目翼投手の通っていた大学

大学

まずは、生田目翼選手の大学以前の話を皆さんに軽く紹介していきます。

生田目翼選手が野球を始めたのは小学4年生の頃だそうです。

兄の影響で野球に興味を持った生田目翼選手は「日大大宮リトル」というチームで硬式野球を始めました。

 

その後、常陸大宮市立第二中学校へ進学後は、軟式野球部に入部しました。

その後、生田目翼選手は2年秋からエースで3番を任されるまでに成長したそうです。

茨城県立水戸工業高等学校へ進学後は、1年秋から4番・ショート、2年秋からエースとして県大会8強、3年の夏は5戦中4試合で先発として登板し、県大会8強という成績を収めています。

残念ながら、甲子園への出場は果たせなかったそうです。

 

ちなみに生田目翼選手自身はその当時、ショートを希望していたのですが、球速がずば抜けて速かったため当時の監督の勧めによりピッチャーに専念するようになったそうです。

 

高校卒業後は、非常に多くの大学から勧誘を受けた生田目翼選手ですが、彼は流通経済大学に進学しています。

https://twitter.com/sofnetJapan1/status/1064462364332896256

理由は、流通経済大学は彼の投手の素質だけでなく打者としての素質も非常に高く買ってくれていだからだそうです。

 

生田目翼選手は、大学1年生春から猛活躍をします。

なんと1年春リーグ戦にいきなり、リリーフ投手として出場すると、2年の春には主力投手としてチームを引っ張り4勝3敗(防御率2.59)という結果を残しました。

 

上級生にも、引けを取らないピッチングは凄まじかったようです。

3年生春には完投5勝を含む6勝という好成績を残します。

さらに負けなし(防御率2.65)でMVP、さらに最優秀投手の2冠も達成してしまい、流通経済大学硬式野球部を全日本大学野球選手権準優勝に導くという素晴らしい結果を残しています。

 

しかし、4年生春以降は相次ぐ怪我に苦しみ、思うような結果は残せませんでした。

大学時代、現在福岡ソフトバンクホークスに所属している田中正義選手と切磋琢磨していたことで有名な生田目翼選手ですが、実はドラフト指名漏れという苦い経験をしています。

田中正義選手と投げ合った、創価大学1回戦で2安打4四死球1対0完封勝利さらには、2回戦においても完投勝利を挙げています。

 

生田目翼選手は、球速もMAX155km/hに達していたのです。これだけ見たら、田中正義選手よりも生田目翼選手の方が完成度の高いピッチャーのように見えますよね。

 

しかし、ドラフト指名漏れには理由があったと言われています。

それは、ドラフト以前の生田目翼選手による記者への発言が原因だったのです。

 

生田目翼選手は、「ドラフト2位までに指名されなければ、プロにはいかない」と事前に条件を提示していたのです。

私だったらこんな強気な発言できませんので、よほど肝っ玉が座っている選手だということが分かりますね。

 

生田目選手の実際の実績と、これまでの発言についてお伝えしてきましたが、周囲からの評価はどうだったのでしょうか?

最高球速は前述のように、155km/hを計測。

常時145kmを超えるストレートを投げていました。

変化球も縦に変化するスライダーやカーブ、カットボールなど多彩です。

https://twitter.com/ohtanifan_1711/status/1065889294693228544

実際のスカウトの声としては、巨人「大人の投球ができている。即戦力。」

中日「制球が良くなったし、投球の幅が広がった。どこも(ドラフト)上位候補だろう。」

日本ハム「直球の勢いがあるのが特徴だけど、今日みたいにいろんな球を投げれれば幅が広がる。」

スピードだけではなく、変化球も投げられることに加えて、さらにそれらが制球良く決まっているところが大絶賛されていました。

 

しかし、生田目翼選手の発言によりドラフト指名を回避した球団が多かったとのことです。

この結果、生田目翼選手はプロ野球の道には進まず、社会人野球の道に進むことになります。

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生田目翼投手の所属していた社会人チーム

社会人

生田目翼選手は流通経済大学卒業後は社会人野球の名門である日本通運へ行くことになります。

日本通運とは??
社会人で野球すると言ったら、日本通運というぐらい有名な企業。
これまで、数々のプロ野球選手を排出しており、生田目翼選手で35人目となる。
日本通運硬式野球部は、埼玉県さいたま市に本拠地を置いている

ここでは1年目の2017年7月の都市対抗野球に抑えとして登板し140km/h以上を連発して投げてチームを引っ張り、都市対抗野球大会で準優勝させるなど強烈なデビューを果たしました。

 

2年目以降は先発に転向し、4月の岡山大会第1戦で最速151km/hを出しています。

6月に行われた都市対抗野球予選では被安打4で完封を達成しています。

7月の都市対抗野球本選では先発しましたが、試合の途中で左ヒザに打球を受け無念のアクシデントの中、途中降板を余儀なくされていますが、2年間という短い期間ながら大きな実績を作りました。

日本通運からは、本当に多くのプロ野球選手が排出されています。

有名なところでいうと、現在、埼玉西武ライオンズで監督を務めている辻監督が日本通運のOBですね。

 

また、メジャーで活躍したクローザーの大塚選手も日本通運のOBです。

現、MLB のサンディエゴ・バドレス傘下に所属している牧田選手も該当します。

今後こうした選手と同様に活躍する姿を見てみたいですね。

生田目翼投手、学生時代は公務員志望だった?

公務員

実は、過去の生田目翼選手はプロ野球選手になることを目標にしておらず、むしろ公務員(市役所)志望だったのです。

野球をやった経験のある人にとっては驚きですよね!

普通はプロを目指して苦しい練習を耐え続けるのに、生田目翼選手は全く違う考えを持ったまま練習し続けていたのですから。

 

生田目翼選手は流通経済大学時代に「大学卒業後は、地元に戻って公務員になった後にのんびり暮らしたい。プロ野球は考えたことがなく、野球は大学までだと思っている。野球は好きなので、草野球は続けるでしょうけど」

と発言して、大きな話題となっていました。

 

150km/hを超えるストレートを投げ、大学野球でもタイトルを取った完成度の高いピッチャーが公務員志望とは、周りの人やプロのスカウトもとても驚いたことでしょう。

 

生田目翼選手のコメントには、プロになりたいというよりも野球が好きだから続けていたいという思いが込められていたのでしょうね。

おわりに

いかがだったでしょうか?

生田目翼選手の人生は、普通ではないと言われているプロ野球選手になる道のりの中でもまた、異質な人生を歩んできています。

周りの逆境を跳ね除けて、これからも輝かしい投手人生を送ってくれることを祈るばかりです。

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